古座のことば 人のこころと歴史   久保卓哉
       紀伊民報  2005年1月15日
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 田辺や白浜の紀南語は敬語の使い方が単相で、年上や目上の人に向かってでも「いかんか」(行きませんか)、「先生これなんてかいたあんな」(先生これは何と書いているのですか)、「昨日先生そういいやったで」(昨日先生はそう言っておられました)という。
 これを他の地方で使うととんでもないことがおこる。高校が大阪だった私は、運動部の先輩からも顧問の先生からも、生意気なやつと思われて、そのレッテルは最後まではぎ取ることができなかった。
 だが同じ紀南でも古座の言葉はだいぶ違う。父と母が古座の出であることから親戚が多く、子供の頃から古座に親しんだ。
古座にはどうやら、目上の人に向かって使う言葉と、友達や同年配のものに向かって使う言葉と、年下のものに使う言葉との、三通りの使い分けがあるようだ。
「おまえ」「あなた」と二人称でいう時、目上の人には「おまん」、同年配には「おまえ」、年下には「われ」と使い分けていた。
「わたし」「ぼく」と一人称でいう時には、目上の人の前では「あて」といい、同年配の前では「あし」といい、年下の前では「おら」と言っていた。
また「そうですね」と言うように軽く詠嘆したり念を押したりするときは、目上の人には「そやにい」といい、同年配には「そやのお」といい、年下には「そやなあ」と言っていた。
その使い分けが子供心にも魅力的で、古座のひとびとには厚みと深みがあるように思えた。
 古座川の恵みをかてに、古くから林業と漁業と交通の要所として栄えた古座には、人と人との深い結びつきがあり、集落のこみ入った関係があり、何世代もの間で培ってきた文化がある。それが厳密な使い分けを生み出してきたのではないかと思う。
 大正生まれの叔母(故山本笑)が言っていた。後ずさりすることを「ごすたん」と言い、じゃんけんといわずに「わんすりー」といってじゃんけんぽんをしたと。「ごすたん」は船の後進を意味する「go astern」ゴーアスターンという英語で、「わんすりー」も「one two three」ワンツースリーの英語を略したものだ。
 なんと古座の子供たちは大正の頃から英語のかけ声でじゃんけんをしていたことになる。。