白浜の財産 人のこころと歴史   久保卓哉
       紀伊民報  2004年7月31日


戻る 

 白浜には財産がいっぱいある。青い海、白い砂浜、万葉の昔から湧きでる温泉はもちろんだが、それ以外に、住民の温かさと治安の良さがある。
 バイクにキーをつけたまま二三日道ばたに置いていても安全だし、すれ違えば頭を下げ合う親しさがある。街を歩いてもそう思うし、車で走ってもそう思う。
 先日などは互いにスピードを落としてすれ違った車の丁寧さに運転席を見ると、若いお兄さんがハンドルにぶつけるほど頭を下げてを通りぬけて行った。私を知っていたのではない。
 地元では、見覚えのある人や車はもちろんのこと、たとえ見覚えがなくてもひょっとしたら地元の人かもと思えば頭を下げる。
 これは古くから旅館と商店と漁師でなり立ってきた白浜の特徴だ。お互いにどこかでつながって生活しているという認識がしみ通っている。しかもその認識の底には白浜を訪れるお客さんのために働くという、暗黙裡だがきわめて明確な理解がある。人口二万人に満たない小さな町は、訪れる三五〇万人のお客さんのために動いていると誰もが思っている。それが住民どうしのあつい礼と治安の良さに現れている。
 これは、郷土への誇りと深い愛がなさしめるもので、古くて歴史のある町でなければ培われない極めて重大な財産である。実は白浜の最大の財産は歴史なのだと思う。
 新しいものは人目を引くが、奥行きがない。いっぽう、古いものは深味とやわらぎがあり、親しみが生まれる。こういったのは鈴木大拙だったと思うが(『東洋的な見方』岩波文庫)、今の白浜に必要なのはこの観点から観光行政を見直すことであろう。折しも熊野古道が世界遺産に登録された。今の白浜がむかっている新しきことへの方向を少し軌道修正して、古く良きことの財産を活かす方向にむかうべきだと思う。